森書物史概論   書物史ワーキンググループ 編  ホーム | 年表 | 補注 | 用語

 

第3章 書物の書写                   

第1節 書物の書写と写本の伝承    第3章 書物の書写  

  書物と文書は、その拠ってくる本質 3-1) からして、文書が原書を比較的多数、今日に伝存させていることに対し、書物の原本が今日に伝えられた例は殆どない 3-2) 。原書は702年の戸籍を始めとし、正倉院文書、東大寺文書等の古寺院文書、或いは平安中期の『御堂関白記』以下の公家日記など、文書と記録が大量に伝えられている。しかし書物は、奈良時代の写経は大量に伝存してはいるが、『万葉集』『伊勢物語』『枕草子』『源氏物語』など著名な書物ほど原本が失われ、その作者同時代の写本すら今日に伝存していない。

 上記にみる仏教書と文学書とではいずれがよく書物を後世に伝えたと考えるべきだろうか。写し写されて今日まで伝えられ、その結果として原本、古写本が失われた書物こそ、よく書物を今日まで伝えたと考える。その間、仏教書は書物として生きて伝えられたであろうかと疑問を抱く。紀元前の『孫子の兵法』が奇しくも20世紀になって突然発見された。しかし、感激とは裏腹に、より原本に近いと予想されるそ『孫子の兵法』に、結果として、紀元前に埋められたときに書物として死んでしまった悲しみを想う。

20世紀初頭に発見された敦煌出土品(4~11世紀の写経、文書)や最近出土の竹簡・木簡、帛書、また日本に将来された唐抄本などを除けば、中国には伝承された書物・写本はほとんど存在しない (3-3) 。中国社会は古代に印刷術を発見し、世界に遥かに先駆けて印刷時代に入ったため、唐代以後の写本の伝存は指折り数えるばかりである。


2節
 異本の発生  
3章 書物の書写

 「人間書物」時代の書物は絶えず成長、変化しており、文字に記録された時点でその本文は異なってくる。ギリシャ悲劇はその伝承の過程で俳優による改ざんによって多くの異本を派生させている。写本時代でも、一般的に著者が知られていない書物は、その伝承過程で発生、成長、変化したことが予想される。『竹取物語』『伊勢物語 3-4) 』『大和物語』等の物語がそれである。著者のはっきりした書物でも、原稿の発表過程で異種の書写本を発生することが、『枕草子』跋文や『紫式部日記』に記録されている。

 しかし最も多く異本を発生させる原因は転写における誤写、善意の改ざんである。印刷時代であれば同時に印刷された書物のすべてが同一のテキストを持ち、標本(基準)になるが、写本時代の書物には比較、照合するべき標本がない。写本生産の宿命として、書物1冊から1冊へと順次写され、複数の写本が存在すれば本文が互いに異なり、同じ本文を持つ書物はなく、流布本ほど本文は乱れる。もし優れた読者であれば必ず本文を比較、検討することになる。 (3-5) 異本発生の事情を如実に示したのが、『土佐日記』の原本を直接書写した三条西実隆等の例である。 (3-6)  
 
テキストの真偽・善し悪しには大局的判断も必要である。『枕草子』の本文は大きく分類型と雑纂型に分かれている。 3-7)


3節 日本の写本  3章 書物の書写

文字と紙を中国から教えられて、その貴重な紙を使って生産された日本の最初の書物は、国家の事業として進められた写経事業であった。
既に673年には『一切経』5千巻を書写し、奈良時代に写経事業は最高潮を迎える。『聖武天皇勅旨経』など『一切経』の書写だけでも、奈良時代に15回も書写している (3-8) 。漢文による表記を除き、漢字を利用した日本語の表記は困難であったので、平安時代の書物は、物語と日記に先鞭が付けられた (3-9)
鎌倉時代、武家政権に変わって政治の場から締め出された公家は、古典の読解、書写・保存に専念することとなった(藤原定家およびその一族による文学、有職を中心とする古典籍の書写事業)。また、律令政治の衰退につづく漢学の不振のうちにあって、経学を家学として伝えたのが清原家であった。鎌倉幕府に仕えた清原家は清原教隆以下、南北朝期の良賢、室町時代の業忠、宣賢、江戸初期の秀賢と続く。室町時代中期の戦乱の時代にあって、『青表紙本源氏物語』の書写(3種今日に伝存)ほか、古典の書写、校合に努めたのが三条西実隆(内大臣)である。文学書に限らず、歴史書、有職、漢籍の保存についても功績があった。『日本三代実録』 『続日本後記』 『日本文徳実録』は、実隆本が源流祖本になっている。なお、この時代前期の古典の伝承、保護者に摂政太政大臣一帖兼良がいる。江戸時代は書物の書写・保存が組織的に行なわれた。徳川家康は幕府を開いてから文治政策を進め、書物の収集(幕府の 「紅葉山文庫」 )のほか、五山の僧を動員して古典、歴史記録の書写を行なっている。その他、『大日本史』編纂のための資料収集、書写事業を行なった水戸藩、塙保己一及びその門下による『群書類従』刊行のための書物収集、書写事業などがある。

   日本の書物の歴史では、表意文字に表音文字を混在させながら、書体、書式を完成させ、あまつさえ、書物に印刷を取り入れても、19世紀後期まで、その文字と文字の綴りの規格化に逆らって写本をそのまま版木に彫って印刷した。日本で表音文字(仮名字体)が統一、規格化されたのは更に遅れて明治も末期である。単語を分かち書きする定則は、現在でもまだない。古活字印刷一時流行した江戸初期は、文字、書物の規格化のチャンスであったが、市民社会形成その他の社会条件の遅れから、すぐ「写本の印刷」に復帰してしまった

 

page top    next4章    home 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

序章 人間 書物
1 人間書物とは
2 書物と文書の違い
3 書物と文字 

1章 巻物の発生
1 巻物の発生
2 巻物書物の構造・書式
3 書物になれなかった形態

2章 紙の発見
1 紙の発見
2 皮紙と紙の西伝
3 書物における料紙の進歩 

3章 書物の書写
1 書物の書写と写本の伝承 
2 異本の発生 
3 日本の写本

4章 冊子の発見

1 冊子の発見
2 西洋における冊子の発見
3 東洋における冊子の発見
4 冊子の構造と変遷
5 折本および綴葉装の位相、冊子東伝説
6 冊子の書式

5章 印刷術の発見
1 何故、中国は印刷術を発見できたのか
2 書物の印刷術
3 日本の印刷の特異性
4 書物の版式
5 中国・朝鮮とヨーロッパの印刷術の相違
6 書物の近代化

 


     写本制作

一切経
     一切経

年表  

補注


用語

文献

home