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第2章
紙の発見
第1節 紙の発見
第2章 紙の発見
紀元前を遥かに溯れば、文字資料の素材は土、粘土、オストラコン、または植物の葉茎、樹皮、パピルスであった。パピルスや貝葉は劣化が速く残らなかったが、粘土板は城壁にもなり、火にも水にも、また地中に埋もれても強靭であった。そのため既に50万点出土し、さらに無尽蔵に埋まっているという。世界最古の文明が選んだ文書の素材は、身近に豊富に存在し、形も材質も紙とは似つかない素材であった。紙が発見される前から書物も文書も存在していたし、その素材に適、不適があったが、書物の素材は限定されていなかったのである。現在、書物といえば紙と切っても切れない関係にあるが、世界を席巻している現代図書(パルプ紙洋装冊子)の歴史は、近々200年しか経っていない。書物の素材としての紙がヨーロッパで確立されたのは15世紀以降である。これは書物を理解する上で見逃せないポイントである。
紙は、書物の素材として発見されたものではないと考える。紙は当初、包装紙(ハ橋紙)、絵地図(放馬灘)の書写に、紀元後でも被葬者の副葬品代り(トルファン等出土品)に利用されていた。出土品から推定すれば、簡冊が数世紀間の競合を経て紙(巻物)と交替したと考える。人類最初の形態としての書物は、「人間書物」の線条構造を文字列に写すべく、パピルスの細い茎を縦横に重ねて平面を造った。さらに、麻を繊維の状態まで細片化して水の流動性を利用した紙の面を発見したといえる。その限りなく続く面を収める形態は、巻物であった。『後漢書』の記録によれば、紙は麻(大麻、苧麻)を素材としており、古着衣装、魚網など、身近な生活用品を原料として発見された
(2-1)
。既に麻は中国で約一万年前から衣料に利用されていた。麻紙が発見されたヒントは、簡冊、帛書の展延性にあったと考える。後に自生の麻から直接、紙を作るようになり、更に加工の容易な楮、桑に切り替えられた。
中国の書物は簡冊から帛書を経て巻物に進んだとされているが
(2-2)
簡冊が交替した相手は帛書ではなく、紙本巻物である。書物の素材が強靭、高価なものから、より脆弱、安価なものへ移ることを原理とすれば、簡冊がより高価な帛書に置き換わるはずがない。絹は簡の高価な代替物に過ぎない。折り畳まれたその帛書の姿も書物の構造と装丁に無縁である
(2-3)
。
アジアからヨーロッパへと東西に長いイスラム文化圏には、9世紀に始まって10世紀頃までに中国から紙が伝えられていたが、羊、牛などの獣皮を書物並びに文書の料紙として利用していたヨーロッパが、東洋の紙を受け入れたのは漸く13世紀以降で、内陸に行き渡るのに更に数世紀を要している。ヨーロッパはアラビアの書物を通したギリシャ・ローマ文化の引継ぎには熱心であったが、紙の利用には抵抗があったようである。当時のヨーロッパには、永く伝えられるべき書物の貴重な料紙として、皮紙に勝る素材はなかった。紙と比較して、皮紙はインクも滲まず、火にも水にも強かった。紙は皮紙の代用品に過ぎず、それを「布のパーチメント(パガミノ・デ・パーニュ)」とも称した(1236年『アルフォンス10世の法典』)。書物を印刷するためには紙の存在は絶対条件であった。皮紙は世界に遥かに先駆けて冊子を発見させたが、その素材の強さは紙の利用を妨げ、印刷術の西伝を遅らせた。
同じ東洋にあって、中国と直接の交流があったインドの例でも、既に6世紀にカシミールまで伝えられていた紙(『ギルギット文書』)をインドが受け入れたのはヨーロッパにも遅れた17世紀であった。それは貝葉の形態が紙の受け入れを拒んでいたと考えられる。ようやくインドに伝わった紙も、そして印刷術もインドに植民したイギリス人がヨーロッパから持ち込んだものであった。
東洋圏内における紙と印刷技術の伝播の速さに比較して、それらの西伝速度との著しい相違については、次のように考えられる。紙が文化のバロメーターといわれたのは現代の話で、紙と印刷技術の伝播には、受け取る側にそれらを必要とする条件が整わなければならなかった。
第3節
書物における料紙の進歩
第2章 紙の発見
書物の進歩は文字の規格化に加え、製紙技術の進歩と素材の規格化にあった。中国では紙の原料を、叩解技術の発見以来の原料であったボロ並びに麻を楮に代え、さらに書物の印刷を発見して紙の需要を起こし、竹の紙料を発見させた。しかし、竹材発見以後に進歩が見られず、日本も江戸時代に開発された三椏料紙を除けば、流し漉き技術、染色、装飾料紙の工夫など、写本料紙として紙の加工に終始した。和紙の柔軟さ、強さ、種類の多様さは、書物の料紙の規格化に逆行し、写本時代にとどまった。
西洋では、東洋から紙が伝えられて以来、麻、綿のボロを手漉きしていたが、製紙技術と印刷技術の機械化と近代市民革命による書物生産の進展に伴う用紙供給の逼迫から、材木を直接に紙料とするパルプ紙を発見した。そのパルプ紙は中国の竹紙の発見を越えて全世界を席巻した。書物の料紙としての紙の進歩を促した最大のものは印刷術であった。規格化を求める書物料紙の進歩、発達は、西洋の紙に典型的に見られ、料紙の充填剤、滲め止め、定着剤等による加工へと向かった。
(2-4)
書物の料紙は丈夫でなければならない
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、とすることには、書物並びに書物の料紙に対する誤解がある。書物の素材は概ね高価、貴重な素材から、より弱い、より安価な素材へと推移してきたことは歴史的事実である。
紙の最も重要な存在意義は書物の素材、印刷用紙にある。紙なくして現代文明を考えることはできない。書物の印刷を通した近代市民革命、近代科学革命、近代技術革命の成就の下において現代の民主主義社会は成り立っている。日本が現代に至るまで漉いている楮を中国が捨てたのは書物における印刷術の発見に拠った。
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序章
人間書物 |